تسجيل الدخول「でも、午後には伯爵夫人がいらっしゃるし……」
「だからこそです。人前では無理をなさるのですから、その前に少しでも休まなければ」
アイダの声音はやわらかいが、譲る気配がない。リュゼリアは視線を落とした。
「……最近、少し疲れやすいだけなの」
「その『少し』が、もう少しではなくなっております」
胸の奥を、別の意味で刺される。
疲れている。確かにそうだった。以前はこれほど長く机に向かっていても、午後になれば庭へ出て薔薇の様子を見る余裕があった。夜に刺繍枠を手に取ることもできた。けれどいまは、午前のうちから骨の芯に砂が詰まるような倦怠が広がっていく。
でも、とリュゼリアは思う。
もし自分が倒れたら、この屋敷の誰が困るのだろう。アイダは悲しむだろう。古くからの侍女も何人かは心を痛めるかもしれない。だが多くの者にとって、それは「主人のひとりの体調不良」にすぎない。公爵夫人が一日や二日臥せったところで、当主であるヴィルレオの生活は大きくは変わらない。
そう考えてしまう自分が、たまらなく惨めだった。
「少しだけ、後で休みます」
「必ずでございますよ」
「ええ」
約束をしたところで、廊下の先から来客を知らせる足音が近づいてきた。
◇
午後、応接間には春を先取りした花々が飾られた。
まだ外では風の冷たい季節だが、温室で咲かせた白いアネモネと淡桃のラナンキュラスが、丸い銀の花器のなかで柔らかく揺れている。暖炉では薪が爆ぜ、その香ばしい匂いに茶葉の蒸れる香りが混じっていた。厚手の絨毯は足音を吸い、窓辺のレース越しの光が部屋全体を淡く明るくしている。
ラズウェル伯爵夫人は、豊かな栗色の髪を高く結い上げた華やかな女性だった。年は四十を少し過ぎているはずだが、笑うたびに目元へ寄る皺すら愛嬌に変えてしまう人である。社交界において声も影響力も大きい。
「まあ、リュゼリア様。お会いできてうれしいわ。相変わらずお美しくていらっしゃること」
「恐れ入ります、伯爵夫人。本日はお越しくださりありがとうございます」
互いに微笑み、礼を交わす。その一連の動きは、長年磨いた舞踏のように滑らかだった。
茶が注がれ、焼き菓子が運ばれる。伯爵夫人は公爵家の温室で採れた柑橘のマーマレードを添えたタルトを気に入り、何度も褒めた。リュゼリアは柔らかな相槌を打ち、慈善茶会の趣旨や招待客の顔ぶれ、寄付先の選定について意見を交わす。
「今年は王都の孤児院だけでなく、北の療養院にも目を向けたいのです。冬の終わりは、体の弱い方にはとくに厳しい時期ですから」
リュゼリアが言うと、伯爵夫人は感心したように頷いた。
「あなたは本当に細やかですこと。そういうところが皆さまに慕われる所以なのね」
皆さまに慕われる。
その言葉の響きに、リュゼリアはかすかに胸がざわついた。笑顔は崩さないまま、カップの持ち手をそっと持ち直す。
「わたくしにできることなど、ささやかなものです」
「そんなことありませんわ。ディルクレイド公爵家の茶会が毎年あれほど行き届いているのは、あなたのお力あってこそでしょう。……もっとも」
伯爵夫人は言葉を切り、ややいたずらっぽく目を細めた。
「公爵様は、相変わらずとてもお忙しいご様子ね」
「ええ、領地のことも王都のこともございますから」
「本当に、氷の方ですこと。うちの娘など、若いころ一度お目にかかって、一週間は怖がっていたのよ」
伯爵夫人は笑ったが、その笑いには社交特有の軽い探りも混じっていた。
「でもね、不思議ですの。あなたが隣にいらっしゃると、あの方の冷たさも少しやわらいで見えるのだから」
リュゼリアは、喉のあたりで微笑みを止めそうになるのを感じた。
やわらいで見える。
見えるだけだと、言えたらどれほど楽だろう。
「そうでしたら、嬉しいことです」
無難な答えを返すと、伯爵夫人はそれ以上踏み込まなかった。踏み込まないのが礼儀であり、同時に残酷でもある。貴族の社交とはそういうものだ。見えるものだけを賞賛し、見えないひび割れには触れない。
茶会は和やかに終わった。
伯爵夫人を見送り、応接間の扉が閉じられた瞬間、リュゼリアは誰にも見えないように小さく息を吐いた。背筋はまだ美しく伸びている。だが、それを保つために使った力が一気に抜け、視界の端が少し揺れる。
「奥様」
アイダが駆け寄る。
「平気よ……少し、座れば」
そう言いながらソファへ腰を下ろした途端、こみ上げてきた咳を堪えきれなかった。
「っ、げほ……っ、げほっ」
胸の奥から引き剥がされるような咳だった。喉が焼ける。息がうまく吸えず、肺が細く潰れるような感覚に襲われる。アイダがすぐにハンカチを差し出した。
「奥様、こちらを」
口元を押さえ、何度か咳き込んだあと、ようやく息が繋がる。暖炉の熱が近いはずなのに、指先はひどく冷たかった。
リュゼリアが粥をひと匙すくう。口へ運び、ゆっくりと飲み込み、それから小さく息を吐く。その一連の動きのどこにも無駄がない。少ない力で、少ない負担で、きちんと食べるための所作になっている。こういうところにも、彼女がこの別邸で少しずつ自分の身体と折り合いをつけ始めていることが見える。「今日は、庭へ?」 ヴィルレオが訊くと、リュゼリアはわずかに目を上げた。「先生が許してくだされば」「昨日より、少し疲れて見える」 言った瞬間、その物言いがまるで医師のようだと自分で思った。夫としての情ではなく、体調を管理すべき対象へ向ける声に近い。 リュゼリアも同じように感じたのかもしれない。ほんの一瞬だけ、目の奥にかすかな影が差した。「ええ。だから、無理はしないわ」「……そうか」 それ以上、言葉は続かなかった。 食堂の窓の外では、風がまだ少し冷たそうに低木を揺らしている。白と青の花壇は、ここからは見えない。ただ、そこにあることだけは知っている。 ヴィルレオは、自分がずっとリュゼリアの手元ばかり見ていることに気づいた。カップを持つ指。スプーンを置く指。ナプキンの端を押さえる指。そのどれもがかつて、屋敷の細部を整え、自分の不機嫌や体調の揺れまで吸収していた指なのだと思うと、胸の奥がざらついた。 触れたい。 今朝も、ふとそう思う。 手が冷えているのではないか。細すぎるのではないか。茶の温度は大丈夫か。 そんな小さなことでさえ手を伸ばしたくなる。 だが、彼女が今こうして落ち着いて食事をしている時間の中へ、自分の手だけが異物のように差し込まれる気がして、結局何もできない。 その無力さを、ようやく「当然だ」と思える自分がいた。 ◇ 昼前の診察のあと、医師は「今日は外気に当たるのは短く」と告げた。 昨日よりやや咳が残っていること、夜の眠りが浅かったこと、朝の熱がわずかに高めであること。その三つを理由に、庭へ出るならほんの少しだけ、日の高いうちに、椅子へ座ったままでと念を押す。 リュゼリアは素直に頷いた。 王都にいた頃の彼女なら、医師の言葉を受けつつもどこかで「でも」を探していたかもしれない。食堂へ下りる必要、返書、来客、帳簿。何かしら理由を見つけては、自分の身体のほうを後ろへずらしただろう。 いまは違う。 少しだけ残念そうな顔はしたが、その残念さ
翌朝、ヴィルレオは夜明けより少し前に目を覚ました。 眠れなかったわけではない。意識は何度か落ちた。だが、その眠りはどれも浅く、水面に浮かぶ薄い氷みたいに脆かった。まぶたを閉じても、昨夜のリュゼリアの声が、静かなまま何度も耳の奥へ戻ってくる。 今さら遅いのです。 怒っていたわけではない。 泣いていたわけでもない。 ただ、もう期待していないのだと、そう言っただけだった。 その穏やかさが、かえって鋭かった。 ヴィルレオは寝台の上で片腕を額へ乗せたまま、客室の薄暗い天井を見ていた。別邸の朝はまだ来ていない。窓の外には薄青い闇が残り、湖のほうからくる風が、閉じた窓を細く鳴らしている。暖炉の火はとうに落ち、部屋の空気は冷えすぎぬ程度に静かだった。 ここは王都の屋敷ではない。 大理石の廊下も、夜通し完全には眠らぬ使用人たちの気配も、遠くで響く馬車の音もない。別邸の朝は遅く、柔らかい。だからこそ、ひとりで目を覚ましている時間が長すぎる。 その長さの中で、昨夜からずっと同じことを考えていた。 触れたい、と思う自分がいる。 咳き込んだ彼女の背へ手を伸ばしたい。冷える夜には肩へ落ちるショールを整えたい。歩く時に少しふらつけば、先に腕を差し出したい。茶を取る指先が冷えていれば、自分の手で温めたくなる。 そんな衝動が、今さらになってひどく生々しくある。 だが、そのたびに同じところへ戻る。 資格がない。 資格、という言葉が正しいのかはわからない。夫なのだから、世間の形としては触れる資格などあるのだろう。けれど、彼の胸の内で立ち上がるその感覚は、もっと別の種類のものだった。 かつて触れてよかったはずの時間に、自分は触れなかった。 朝の頬にも、夜の寂しさにも、食卓で伏せられた睫毛にも、扉の前でためらう背中にも、何一つ触れようとしなかった。 触れるべき時に触れなかった男が、今さら遅れて手を伸ばしても、それは彼女にとって慰めではなく、ただの驚きか、あるいは重さにしかならないのではないか。 そう思うたび、腕の中で何かが鈍く冷えていく。 寝台を下り、ヴィルレオは窓辺へ歩いた。カーテンを少しだけ開ける。外はまだ薄闇だ。庭の輪郭だけが見え、南側の花壇は影の中に小さく沈んでいる。あの白と青の苗も、今は夜露を抱いて黙っているのだろう。 そこへ彼女がまた座るのは、陽が
公爵としての彼は、問題があれば手を入れてきた。 人を動かし、金を使い、命令を出し、結果を求める。それが責任だった。 だがリュゼリアの望む穏やかさは、命令で作れるものではない。 彼女が期待を取り戻すことも。 自分の言葉を信じることも。 再び未来を預けることも。 どれも彼が決められることではなかった。 それを待つしかない。 いや、待ったとしても、戻らないかもしれない。 その可能性ごと引き受けなければ、彼女へ何かを望む資格はないのだろう。 ヴィルレオは廊下の窓辺へ歩み寄った。 外には、夜の庭がある。 月の光は弱く、白と青の花壇はほとんど見えない。だが、そこに苗が植えられていることは知っている。 リュゼリアが自分の手で土へ触れたことも。 咲くところを見たいと思ったことも。 それが、彼女自身の「生きたい」という願いへつながったことも。 自分がするべきなのは、その苗を王都へ持ち帰ることではない。 無理に早く咲かせようとすることでもない。 ここで根を張ろうとしているものを、ただ傷つけずに見守ることなのかもしれない。 そう考えると、胸へ別の痛みが広がった。 見守るということは、近づけないことを受け入れることでもある。 彼女の隣へ座れなくても。 夫として扱われなくても。 何かを変えたと報告しても、喜んでもらえなくても。 それでも彼女が少し息をしやすくしているなら、その距離を壊してはならない。 ヴィルレオは窓ガラスへ手を置いた。 冷たい。 王都で、南へ向かうか迷った朝に触れた窓と同じ温度だった。 けれど、あの時とは違う。 あの時の彼は、会えば何かが動くと思っていた。 追いつけば、距離を縮められるのではないかと、どこかで期待していた。 実際には、会ったことで距離の深さを知った。 謝ったことで、謝罪が届かない場所を知った。 未来を変えると告げたことで、彼女がもう未来へ期待していないことを知った。 知るたびに、二人の距離はかえって明確になる。 それでも、知らなかった頃へ戻りたいとは思わなかった。 知らないまま、自分だけが夫だと思い込み、彼女の沈黙を従順さと取り違え続けるよりは、痛くてもこの距離を知るほうがいい。 問題は、その距離を知ったあとだ。 自分の寂しさを埋めるために、彼女を引き戻すのか。 それとも、彼女が
「……そうか」 言葉にすると、敗北に似た響きがあった。 けれどそれを否定する気にはなれなかった。ここで彼女の言葉を否定することだけは、もう絶対にしてはならない気がした。 リュゼリアはほんのわずかに肩の力を抜いたように見えた。「ごめんなさいね」「なぜ、お前が謝る」「旦那様が、せっかく言葉にしてくださったのに」 その言い方に、ヴィルレオは思わず目を閉じたくなる。 彼女は最後まで優しい。優しいくせに、その優しさはもう彼へ向けて身を削る形では差し出されない。そういう優しさだ。だから余計に遠い。「……もういい」 ヴィルレオは低く言った。 そして、言ってからその言葉のまずさに気づく。もういい、ではない。何ひとつ、よくなどない。だが、それ以上を今ここで言葉にする力がなかった。 リュゼリアもまた、そのまずさに気づいたのだろう。けれど指摘はしなかった。ただ、少しだけ疲れたように目元を和らげる。「今夜は、もう休みましょう」「……ああ」「外は冷えますし」「そうだな」「旦那様が風邪を召しては困るわ」 その気遣いが、かつてと同じ言葉なのに、かつてとは違う場所から来ているとわかる。彼女はもう、自分の心を預けたまま彼を案じてはいない。ただ、目の前にいる体調を崩しやすい人間として気遣っているだけだ。 それだけの違いが、こんなにも深く突き刺さる。 ヴィルレオは椅子から立ち上がった。足元が少し重い。扉の前まで行き、振り返る。 リュゼリアはまだ窓辺の光の中にいた。白い頬。薄青い瞳。細い指。温かさを失いかけた茶。外套の裾に乗る灯り。その全部が、届きそうで届かない。「……おやすみ」 結局、最後はそれだけだった。 リュゼリアは静かに頷く。「おやすみなさい」 扉を閉める。 廊下の冷たい空気が頬へ触れた。 今さら遅いのです。 その一言は、怒りではなかった。だからこそ、どこにも跳ね返らず、真っ直ぐ胸の奥へ沈んでいく。 彼女はもう期待していない。 その事実は、謝罪が届かなかったことよりもずっと重い。 期待されないということは、責められないということでもある。怒りも、すがりも、求めもない。そこに残るのは、ただ相手がもう自分へ未来を預けていないという、静かな断絶だけだ。 ヴィルレオは廊下の途中で立ち止まった。 春の夜気はまだ冷たい。だがその冷たさのほう
自分がようやく変えようとしているものは、彼女が期待を捨てることでしか耐えられなかった時間のずっと先にある。今さら「これからは違う」と言ったところで、その捨てられた期待が戻ってくるわけではない。「わたくし、もう待っていないの」 その一言は、怒鳴り声よりよほど重かった。「だから、旦那様が何かを変えると仰っても……昔のわたくしなら、きっとすごくうれしかったと思う」 ここで初めて、彼女の声が少しだけ揺れた。「でも、今のわたくしには、それを喜ぶための期待がもう残っていないのです」 ヴィルレオは目を伏せたい衝動に駆られた。だが、それは彼女の言葉から逃げることになる。かろうじて堪える。「……戻せないのか」 掠れた声だった。「何を?」「期待を」 リュゼリアはしばらく答えなかった。 窓の外を風が撫でる。卓上の茶が少し冷め、薄い湯気が途切れる。「わからないわ」 やがて彼女は言った。「でも、少なくとも今すぐには無理よ」 その答えは残酷なほど率直だった。「期待というのは、言葉ひとつで戻るものではないもの」「……そうか」「ええ」 そしてそこで、リュゼリアは少し困ったように首を傾げた。「怒っていたら、まだ簡単だったのかもしれないわね」 ヴィルレオは眉を寄せる。「簡単?」「ええ。怒っているなら、ぶつける先があるでしょう?」 その言葉に、胸の奥が静かに裂けるような心地がした。「でも、今のわたくしは、怒っているわけではないの」 リュゼリアは穏やかに続ける。「ただ、もう期待していないだけ」 それは、終わりの言葉に近かった。 終わりといっても、関係そのものの断絶ではない。怒って絶縁するような激しいものではない。もっと静かで、もっと冷えた終わり。相手が何かを変えるかもしれない未来に、自分の心を預けないという決意。 ヴィルレオはようやく、その重さを本当の意味で知った。 謝罪が届かないことよりも。 時間が戻らないことよりも。 彼女が自分へ期待することをやめた、その静かな事実のほうが、ずっと決定的なのだ。「……俺は」 言葉が喉で止まる。 何を言おうとしたのか、自分でもわからない。期待しなくていいと言うべきか。もう一度期待してほしいと言うべきか。どちらも違う気がした。 結局出てきたのは、あまりに弱い問いだった。「それでも、何かできる
「王都へ戻ったら」 ヴィルレオはゆっくりと言う。「屋敷のことを改める」 リュゼリアの睫毛が一度だけ揺れた。「……改める?」「ああ。帳簿も、人員の割り振りも、客の取り方も、食卓も」「食卓まで?」「お前に任せきりにしていたものを」 言いながら、自分の言葉がどこか必死で、どこか遅れているのを感じる。「これからは違うようにする。お前が」 そこまで言って、一瞬だけ喉がつまる。「お前が戻るなら」 リュゼリアの目が、静かに細まった。「戻るなら?」 その繰り返しが、やけに冷たく響く。「……そうだ」「戻ったら、変わると仰るのね」「変える」 ヴィルレオははっきり言った。「食卓も、朝も、屋敷の回し方も、お前が一人で抱えなくて済むようにする」 それは本心だった。 自分でも、ようやくそこまで言葉にできたのだと思う。もっと早くに知るべきだったし、もっと早くにそう言うべきだった。だが遅すぎるとわかっていても、黙ってはいられなかった。 けれど、その言葉を聞いたリュゼリアは、怒りも喜びも見せなかった。 ただ静かに、ほんの少しだけ寂しそうに笑った。「……そう」 それだけ。 その反応の薄さに、ヴィルレオの胸はひどくざわめく。「リュゼリア」「今さら、遅いのです」 彼女は怒鳴らなかった。 静かな、あまりにも静かな声だった。 だからこそ、その一言は真正面から入ってきた。 今さら、遅いのです。 同じ意味のことを、彼女は前にも言った。だが今日のそれは、昨夜の“失った時間には届かない”よりもっと静かで、もっと決定的だった。「わたくしが欲しかったのは」 リュゼリアは続ける。「旦那様が“変える”と仰ってくださる未来ではなかったの」 彼女の指先が、卓の上で静かに重なる。白く、細く、かつて自分の食卓や屋敷の細部を整え続けた指だった。「欲しかったのは、もっと前の時間よ」 昨夜と同じ言葉。 だが今朝は、その先がもう少し深く続いた。「朝に、食堂で会うことを苦にしないでいられること」「……」「何かを言った時に、ちゃんと聞いていただけること」「……」「夜更けに遅くなった翌朝、少しだけ顔を見てくださること」 その一つひとつが、何でもない。何でもないはずなのに、今となってはひどく遠い。「そういうものが欲しかったの」 リュゼリアはまっすぐヴィ







